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八溝山周辺地域の文化財

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 3県にまたがってそびえる八溝山の周辺地域は、栃木県北部の拠点地域として中心市にみられるような都市機能の集積度が高いエリアや、国際的観光地としても名高いエリアが存在し、四季折々の景観に富んだ自然豊かな地域です。また、圏域全体にわたり歴史的にも貴重な文化遺産が数多く存在し、那珂川、箒川、久慈川などの大河川が流域を潤し、関東地方の北部地域と東北地方の最南端地域の自然と多彩な文化が融合した地域でもあります。八溝山周辺地域定住自立圏を構成する、栃木県大田原市、那須塩原市、那珂川町、那須町、茨城県大子町、福島県棚倉町、矢祭町に点在する文化財の中から1つずつ選んでご紹介します。

 

文化財_大雄寺栃木大田原市
大雄寺(だいおうじ
所在地:栃木県大田原市黒羽田町450
大雄寺は、応永11年(1404)に開山されたのが始まりといわれ、領主であった大関氏の菩提寺として庇護されてきました。中心となる本堂の建設は、17世紀に遡ると推測され、大規模な曹洞宗本堂の様式がよく残されています。茅葺建造物群からなる大雄寺の主要部は本堂から廻廊にいたるまで全体が簡明に統一されており、近世曹洞宗寺院の典型の一つを示しているとされています。

 

文化財_【那須塩原市】旧青木家那須別邸(俯瞰)栃木県那須塩原市
旧青木家那須別邸(きゅう あおきけ なすべってい)
所在地:栃木県那須塩原市青木27番地
明治時代にドイツ公使や外務大臣を歴任した青木周蔵子爵が開設した農場内に建てられた白亜の洋館で、国指定重要文化財です。平成30年に認定された「日本遺産」の構成文化財にもなっています。
建物に向かう杉並木は一見の価値あり!

 

180121 三森家住宅消防訓練栃木県那須町
三森家住宅(みもりけ じゅうたく)
所在地:那須町大字伊王野3111―1
三森家は、伊王野地区の下平にあります。ここは、中世以降の関街道が通っていたところで、丘陵を背にして南向きのやや高台に長屋門と主屋が建てられています。当家は、江戸時代に交代名主と問屋を勤めていました。昭和58年から60年度に、3カ年の歳月をかけて長屋門とともに解体・修復工事か行われました。現在の建物は享保18年(1733年)に建てられたものと考えられています。しかし、三森家には「星宮」という氏神があり、その棟札に天和3年(1683年)と書かれており、三森家の歴史は享保以前にさかのぼると考えられています。

 

文化財_【那珂川町】唐の御所(写真)栃木県那珂川町
唐の御所(からのごしょ)
所在地:栃木県那須郡那珂川町和見2538
和見、北向田(きたむかだ)から小口にいたる西尾根に散在する横穴群は、国指定の史跡で古墳時代後期の豪族の墓と伝えられています。
内部には横穴式石室と同様に玄室や玄門、羨道などがあり、玄室全体は一戸の住宅を思わせるような構造で、精巧さでは全国屈指といわれています。

 

文化財_旧上岡小学校茨城県大子町
旧上岡小学校(きゅう うわおかしょうがっこう)
所在地:茨城県久慈郡大子町大字上岡957−3
明治44年築の木造校舎です。横長の校舎のように見えますが、渡り廊下で講堂とつながっているため、奥行きがあります。多くの映画、ドラマ、CMなどで利活用されています。県内では、明治期の校舎は県指定文化財・旧水海道小学校本館と旧上岡小学校第1棟の2棟のみで、地方における明治期の小学校の様子を伝える重要な役割を担っています。

 

文化財_棚倉町十一面観音福島県棚倉町
木造十一面観音菩薩立像
(もくぞうじゅういちめんかんのんぼさつりゅうぞう)
所在地:福島県東白川郡棚倉町大字八槻字大宮224
八槻都々古別神社に伝来する、天福二年(1234)作の仏像です。両腕を欠損しており、部分的な着色も見られます。頭部から台座まで一本の材からつくられた一木造り(いちぼくづくり)が特徴です。台座の裏側には墨により造立に関する経緯が記されています。それによると、この像は八溝山の観音堂で三百日にも及ぶ参籠修行を行なった僧、成弁(じょうべん)によってつくられたもので、その姿は大和(現在の奈良県)の長谷寺(はせでら)本尊に倣ったとされています。長谷寺は真言宗豊山派の総本山とされる寺院です。(八槻都々古別神社所蔵・国認定重要美術品)

 

【矢祭町】戸津辺のサクラ福島県矢祭町
戸津辺の桜(とつべのさくら)
所在地:矢祭町大字中石井字戸津辺
矢祭町中石井に所在する樹齢約600年、樹高約18m、胸高周囲約7mのエドヒガンザクラです。福島県・矢祭町指定天然記念物、福島県緑の文化財として登録されています。四方に大きく広がる笠状の枝振りは雄大であり、4月初旬の花見の季節には多くの見物客でにぎわいます。
 福島県内では最も早く花をつけ、古来から春の訪れと農耕の頃合いを知らせる種まき桜として親しまれてきました。

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