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塙町の文化財

塙町の文化財

サンプル画像1

 

向ヶ岡公園と公園の桜

県指定 昭和31年9月4日(天然記念物)
所在地 大字塙字桜木町204-1

 この公園は、寛政五年(1793)に名代官といわれた寺西重次郎によって四民遊楽の地として築造されたと伝えられるもので、庶民のための公園としては最古のものと伝えられています。公園は町の史跡として、桜は県の天然記念物として文化財に指定されています。

 

薬王寺1

 

台宿薬王寺薬師堂

町指定 昭和51年2月12日
県指定 平成14年3月29日(重文[建造物])

所在地 大字台宿字大久保53

 本堂は、延宝(1673~80)の昔、米山中興の祖と言われる宥善上人や、安永(1772~80)年間の義観上人らの布教等によって、八溝山をとりまく広域に「米山薬師信仰」が高まり、多くの信徒達の寄進により、寛政2年(1790)の春、建立されたと伝えられています。本堂は、米山山頂にある奥の院の祭殿として営まれたことから「御仮屋」の呼び名が残っています。

古宿観音堂

塙町指定 昭和51年2月12日
所在地 大字伊香字古宿213

 平安初期に編さんされた「日本後紀」の弘仁2年(811)4月条に「高野」の駅が設置されたと記されています。この「高野」は、現在の塙町の伊香辺りではなかったかと比定されています(福島県史)。都から陸奥国府(宮城県多賀城市)へ通じた、古代の国道が設置され、中央の文化が、陸奥国に入る接点にあったとされています。

 この観音堂は、一面が4.85メートルの入母屋造りで、十一面観音を本尊とし、天井には寛保2年(1742)に描かれたという墨絵の龍が描かれています。

 文化財 古宿観音堂

十一面観音像

木造十一面観音立像

塙町指定 昭和51年2月12日
所在地 大字伊香字古宿213

 本尊は、けやきの一本造りで、高さ2メートルを越す大きなものです。当初は色彩を施されていたと思われる跡が見られます。素朴ながら地方人の工人による信仰上の彫刻と思われ、製作者、年代共に不詳ですが、町内の仏像では貴重なもののひとつです。

常世観音堂

塙町指定 昭和51年2月12日
所在地 大字常世中野字舟木原86

 当地は、上代史に載る数少ない地名の常世郷であり、このことから「常世観音堂」と呼ばれています。本堂は、西の耕地の中にあった廃寺に残されたお堂で、火災のため、天保9年(1838)に再建され、大正9年(1920)この地へ移されたものです。

 本尊の如意輪観音は、この地方には数少ない、南北朝時代(1336~92)の美しい仏像です。

文化財 常世観音堂

 

文化財 常世観音

木造如意輪観音菩薩坐像

塙町指定 平成2年1月11日
所在地 大字常世中野字舟木原(常世観音堂)

一木造 彫眼 漆箔
像 高 63.7センチメートル
南北朝時代(14世紀後半)

 切れ長の目に眉の弧線の長く伸びた顔貌には、すっきりと澄んだ表情がうかがえます。また頭部をやや右に傾け、一面六腎で、右足を立てた複雑な形相を破綻なく仕上げられており、技倆の高さがうかがえます。県内では、時代的にある程度古く、造形的にも優れた如意輪観音の作例はあまりなく、この像は優秀性とともに、尊像の種類において稀少性もあり、二つの意味でより価値が高いといえます。

湯舟観音堂

塙町指定 昭和51年2月12日
所在地 大字山形字桜下134

 本堂は、寛文(1660年代)の頃、廃寺となった高徳院観音堂を移築されたものと思われます。その後、元禄4年・天明6年に修築され、現在の堂は廃仏風潮の折にもかかわらず、旧来の仏堂様式を受け継ぎ、当時としては、丁重な建築であったと伝えられています。天上の彩色画は、棚倉藩士関口松宇の筆によるもので、寄進者は雨谷の荒川彦惣とあります。本尊は、馬の守護仏とされ、馬産地だった当地方では、広く厚い信仰があり、年2回の縁日(旧正月・7月)には、遠近の参拝者で賑わったと伝えられています。

 文化財 湯舟観音堂

文化財 木造聖観音菩薩坐像

木造聖観音菩薩坐像

塙町指定 平成2年1月11日
所在地 大字山形字桜下(湯舟観音堂)

一木造 彫眼 素地仕上げ
像 高 52.1cm
室町時代(15世紀)

 宝冠を戴き、禅定印を結び結跏趺坐する、宝冠釈迦如来とみられますが、宝冠正面に化仏をおいているのは、聖観音の姿であることから、湯舟観音堂の本尊であるこの像は、聖観音と伝えられています。一木造で素地仕上げとし、厳しい表情、鋭さのある衣文の彫出など、八槻都々古別神社木造十一面観音立像に通じる特色が見られます。この地方での造像と考えられ、この土地の特徴的な作風をもった像として、貴重なものです。

 

文化財 東浄寺

 

東浄寺薬師堂

塙町指定 昭和51年2月12日
所在地 大字川上字薄久保33

 その昔、通称笹原郷の三薬師の一つとして尊信を集めた本薬師尊が、現在この寺の川向かいの地に存在しており、この地へ移されたとの伝承があります。棟札及び堂内の掲額には、宝暦10年(1760)とあり、堂の歴史を物語っています。

 本堂は、宝形造りの小堂ながら、天井には極彩色画が施され、四天柱の欄間には、大彫刻が飾られています。内陣を守る結界の構造跡も見られ、珍しい仏堂の一つです。

陸奥代官塙陣屋跡

塙町指定 昭和51年2月12日
所在地 大字塙字本町45-2

 陸奥代官塙陣屋は、江戸幕府が、享保14年(1729)2月、塙の近隣5万石余を直轄地(天領)とし、竹貫(石川郡竹貫村)に陣屋を開設し、同年9月、塙に陣屋が移されたことにより始まりました。塙に陣屋が移された理由は、塙の地が常陸太田街道・平潟街道沿いに位置し、久慈川流域の年貢米の輸送の便、更には奥羽外様大藩のけん制、あるいは、江戸防衛の重要な地点に位置するためと考えられ、慶応4年(1868)4月まで代官所が置かれていました。

当時の塙陣屋の敷地面積は、5,434平方メートル、建物面積1134平方メートル余で、堀が巡らされていたと伝えられています。  

06塙代官所跡・子育て地蔵尊
文化財 銅造地蔵尊半跏像

銅造地蔵尊半跏像

塙町指定 昭和51年9月21日
所在地 大字塙本町45-2

 宝暦三年(1753)4月21日、遠近篤志家の浄財により、宇都宮の戸室将鑑の作、鋳造は佐野の長谷川弥市藤原秀膳とある、建立由来の明瞭な仏像です。高さ約2メートル、破損も見られず町内唯一の鋳造仏となっています。寛政年間(1790年代)、名代官と言われた寺西重次郎の尊信するところとなり、民風改善の拠り所とし、子育を奨められたので、子育地蔵尊と呼ばれるようになりました。

文化財 板碑

板碑(延文五年銘)

塙町指定 昭和54年4月13日
所在地  上渋井字寄居166

 板石塔婆とも言われる板碑は、頭部が三角形の山型に二条の横線が切り込まれて額部をなし、その下が板状となり、主尊の種子(しゅじ)と年号とが刻まれています。高さおよそ94センチ。碑面には、福島県史によると、年号は「延文五年三月庚子大才彼岸三日」とされているものの、劣化がひどく、判読がむずかしいそうです。延文5年(1360)は、南北朝時代の北朝の年号であり、もともとこの板碑は、通称「御堂下(みどうした)」という田の中に埋もれていたものをここへ移し、建て替えられたといいます。町内の竹之内・西河内にも数基ずつ残されており、建立年月が明らかではありませんが、この碑は当地の歴史を知る貴重な文化財です。

 

文化財 木造地蔵菩薩半跏像

 

木造地蔵菩薩半跏像

塙町指定 平成2年1月11日
所在地 大字川上字寺下(賢瑞院)

寄木造 玉眼嵌入 彩色
頂一左足下 46.8センチメートル
南北朝時代(14世紀後半)

 左足を垂下し、右膝をたて頬杖をついたような気楽な姿。このような姿の像は、鎌倉時代以降、宋風の影響を受けて鎌倉地方を中心にして多くつくられたといます。その形には、鎌倉からの直接的影響がみられます。随所にみられる技法は、南北朝頃の仏像にしばしばみられるもので、中央(鎌倉か)系の仏師の作と考えられています。美術史的に貴重なものであり、同時にこの時代の、当地方と鎌倉地方との交流を示す具体的歴史資料として高い価値があります。




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